こんにちは。
開店当初から、個人的な楽しみとして店頭にお気に入りのレコード盤(アナログ)を飾らせてもらっています。
飾っている本人は、季節やそのときのイベントなどに合わせて選んでいるつもりですが、なにぶん古いものが多いので、その事に気づかれない事が多いみたいです。
忙しさにかまけて今年になって2回目の紹介になりますが、ご来店の際の小さな楽しみの一つにしていただければと、今後も続けて行こうと思います。
では、手短にまいりましょう。
なんと言っても、1月は、Patti Smithが金沢に来たので、当然の様に彼女のアルバムを飾っていました。
’79年の4枚目、『Wave』と’75年の1st、『牝馬』です。
どちらも、盟友ロバート・メイプルソープ撮影のモノクローム写真のジャケット。
N.Y.からはじまった、パンクロックの最初の一歩。世界で初めてのアルバムです。
彼女の人生の中でも、最も熱かった4年間だったのではないかと思います。
しかし、この4年間の間に、宝塚の男役のような風貌が、まるで少女の様に変貌しているのが確認出来ます。
このあと、妻として、母としての人生を選び、9年間の沈黙期間に突入して行くわけですが、復帰した時には、全ての経験に裏打ちされた強靭な精神力を感じさせる音楽を生み出して行きます。
1月に実際に体験出来た素晴らしいライブアクトについては、けして言葉では表す事のできるようなものではないです。とにかく凄かった。
とにかく前へ。少しでも近づけるように、なりふり構わず前へ進みました。
もう、2度と会えないのでしょうが、その瞬間の事は忘れずに生きて行きます。
2月。例のヴァレンタインなんとかにあやかろうとして、最も敬愛する音楽家の代表作を飾りました。チェット・ベイカー『チェット・ベイカー・シングス』です。
このアルバムの中で、最も有名な曲「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、沢山のアーティストに演奏されていますが、チェットは死ぬまでの34年間、ずっと違うアレンジ、アドリブで演奏し続け、どれも甲乙付けがたいすばらしいものです。
有名なラストコンサートのアンコールもこの曲で終えています。
このアルバムは、当初、2枚の10インチレコードで世に送り出されましたが、発明されたばかりのLP(Long Playing)レコードにその2枚を詰め込んで再発され、世界中で聞かれて行く事になります。
ある説によると、このチェットの中性的なボーカルを聞いたブラジルの若く意識的な音楽家達が、自国のサンバと融合し、ボサノヴァを生み出したという事です。
いずれにせよ、沢山のロマンティックな逸話が残る、素晴らしいレコードである事は間違いありません。
彼は、世界的に見てもトップレベルの麻薬中毒者ですが、’88年に事故でなくなるまで、常に素晴らしい演奏をし続け、多くの録音を残してくれています。
当店には、彼の自伝的映画『Let's get lost』のA1版ポスターを飾らせてもらっています。
小樽にある「チェット・ベイカリー」みたいに、直接的には表現出来ませんでしたが、いつも心に、彼の墨絵のような音像みたいな仕事ができればと思い、過ごしています。
ぜひ、一度'80年代の彼の音楽に触れてみてください。きっと素晴らしい体験ができると思います。
続く
和英
開店当初から、個人的な楽しみとして店頭にお気に入りのレコード盤(アナログ)を飾らせてもらっています。
飾っている本人は、季節やそのときのイベントなどに合わせて選んでいるつもりですが、なにぶん古いものが多いので、その事に気づかれない事が多いみたいです。
忙しさにかまけて今年になって2回目の紹介になりますが、ご来店の際の小さな楽しみの一つにしていただければと、今後も続けて行こうと思います。
では、手短にまいりましょう。
1月中〜2月中頃 |
なんと言っても、1月は、Patti Smithが金沢に来たので、当然の様に彼女のアルバムを飾っていました。
’79年の4枚目、『Wave』と’75年の1st、『牝馬』です。
どちらも、盟友ロバート・メイプルソープ撮影のモノクローム写真のジャケット。
N.Y.からはじまった、パンクロックの最初の一歩。世界で初めてのアルバムです。
彼女の人生の中でも、最も熱かった4年間だったのではないかと思います。
しかし、この4年間の間に、宝塚の男役のような風貌が、まるで少女の様に変貌しているのが確認出来ます。
このあと、妻として、母としての人生を選び、9年間の沈黙期間に突入して行くわけですが、復帰した時には、全ての経験に裏打ちされた強靭な精神力を感じさせる音楽を生み出して行きます。
1月に実際に体験出来た素晴らしいライブアクトについては、けして言葉では表す事のできるようなものではないです。とにかく凄かった。
とにかく前へ。少しでも近づけるように、なりふり構わず前へ進みました。
もう、2度と会えないのでしょうが、その瞬間の事は忘れずに生きて行きます。
2月。例のヴァレンタインなんとかにあやかろうとして、最も敬愛する音楽家の代表作を飾りました。チェット・ベイカー『チェット・ベイカー・シングス』です。
このアルバムの中で、最も有名な曲「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、沢山のアーティストに演奏されていますが、チェットは死ぬまでの34年間、ずっと違うアレンジ、アドリブで演奏し続け、どれも甲乙付けがたいすばらしいものです。
有名なラストコンサートのアンコールもこの曲で終えています。
このアルバムは、当初、2枚の10インチレコードで世に送り出されましたが、発明されたばかりのLP(Long Playing)レコードにその2枚を詰め込んで再発され、世界中で聞かれて行く事になります。
ある説によると、このチェットの中性的なボーカルを聞いたブラジルの若く意識的な音楽家達が、自国のサンバと融合し、ボサノヴァを生み出したという事です。
いずれにせよ、沢山のロマンティックな逸話が残る、素晴らしいレコードである事は間違いありません。
彼は、世界的に見てもトップレベルの麻薬中毒者ですが、’88年に事故でなくなるまで、常に素晴らしい演奏をし続け、多くの録音を残してくれています。
当店には、彼の自伝的映画『Let's get lost』のA1版ポスターを飾らせてもらっています。
小樽にある「チェット・ベイカリー」みたいに、直接的には表現出来ませんでしたが、いつも心に、彼の墨絵のような音像みたいな仕事ができればと思い、過ごしています。
ぜひ、一度'80年代の彼の音楽に触れてみてください。きっと素晴らしい体験ができると思います。
続く
和英